ご訪問ありがとうございます。
このブログでは、子育てを卒業した女性が「これからどう生きていくか」を考えるヒントをお届けしています。
さて、今日のテーマは
「このままでいいの?」と、ふと胸によぎるあの気持ちについてです。
子育ても終わって、自分の時間が少しずつ戻ってきた今、
“何か始めたい”“もう一度、自立したい”と思う瞬間がありませんか?
でも実際は──
動けない。何もしていない。
毎日があっという間に過ぎていく中で、「自分を変えたい」と思いながら、
気づけばまた週末。
気づけば、また1年経ってしまった。
生活に困っているわけじゃない。夫の収入もある。
だからこそ、「今さら頑張らなくてもいいか」と自分に言い聞かせてきた。
けれど、どこかにくすぶっているあの気持ち。
「このまま、年齢だけ重ねていっていいの?」
この記事では、そんな「動けない自分」と向き合いながら、
それでも少しずつ、未来を動かしていくための考え方を綴っていきます。
子育て卒業後になぜか動けない──“変わりたい”のに動けない矛盾
「何か始めたい」「今のままじゃいけない気がする」
そんな気持ちはあるのに、なぜか動けない。
私自身、このブログで「自立しよう」と語っているものの、本当の意味で自立していなかったのは、実は私でした。
何かを始めようとしても、自分ひとりでは動けなかった。
いつも「家族の予定がどうか」「子供のスケジュールに支障が出ないか」ばかりを考えていました。
それが“家族のため”だと、ずっと思っていたのです。
でもそれは、ただの思い込みでした。
子育て中は、「子供のために」が自分の役割でした。
それはそれで充実していたし、社会から少し距離を置いていても、目的ははっきりしていました。
でも、子供が成長すると、その軸が少しずつズレ始めてきます。
スケジュールも生活リズムも、親と子ではまるで違う。
家族であっても、それぞれの世界があるんです。
それなのに私は、ずっと“家族に合わせる生活”から抜け出せずにいました。
「帰らなきゃ、家族が待ってる」
「本当は行きたくないけど、付き合わなきゃ」
「やってみたいけど、家族が嫌がるかもしれないからやめよう」
……本当は、誰もそんなこと言っていないのに。
全部、自分の中で勝手に決めて、勝手に我慢していました。
それが20年。
もしかしたら、もっと長かったかもしれません。
そのうちに、「私ばっかり我慢している」という思いが募って、でもじゃあ、自分は何をしたいのかと聞かれても、答えられない。
趣味もない。誘える友達もいない。日々は「病院とスーパーと実家」の往復。
そんな日々に、虚しさだけが積もっていきました。
「このままじゃダメだ」と思っても、勇気が出ない。
そんなある日、私は、夫とのケンカがキッカケで“プチ家出”をしました。
初めは、近所に出来たばかりの24h複合カフェでした。
漫画喫茶と呼ぶには広くてキレイなお店で、以前、ママ友とそこでお茶をしたことがあったので内部の様子がイメージできました。
夜ごはんを片付けた後、そのまま車の鍵を持って出て行ってしまったので、当時まだ小学生だった息子には悲しく不安な思いをさせてしまいました。
「置いていかないで。どこにいるの?」
と思い出すだけで涙が出ます。
息子には場所を教え、先に寝ているよう伝えてから、独りの時間をそこで過ごしていたのを覚えています。
初回のこの時は、息子に心配をかけたので、申し訳ないことをしたと思っていますが、でも・・・・。
これを機に、私のプチ家出は度々繰り返されるようになりました。
都内のカフェに朝から出かけて、泣きながらノートに気持ちを書き出し、夜にはスッキリして笑顔で帰る。
数ヶ月に一度ですが、そんな行動をするようになり、息子からも「今回はどこかな?」とアッサリした連絡が来るだけで、罪悪感なく過ごせるようになりました。
そこで気づいたのです。
私、カフェすらも一人で行った事がなかった・・・と。
誰に認められなくても、自分の気持ちを整理して、自分のために時間を使う。
それがどれだけ心のリハビリになったか、今でもはっきり覚えています。
きっかけは人それぞれです。
フルタイムで働くことでも、カフェで一人時間を過ごすことでもいい。
趣味を見つけるでもよいし、自分の意志(何となくではなく)で家事に精を出すのも良いと思います。
ただひとつ大切なのは、「自分を大切にすることに、許可を出す」こと。
“動けない”理由の多くは、環境ではなく、自分自身の「思い込み」なのかもしれません。
子育て卒業後の『このままでも生きていける』は、本当に幸せ?
「生活に困っているわけじゃない」
「夫が働いてくれているし、なんとかなる」
「無理してまで働かなくてもいいよね」
そんなふうに思って、今の生活をなんとなく続けている方も多いのではないでしょうか。
私もまさにそうでした。
“生活できてしまう”ことが、かえってブレーキになっていたんです。
でも、本当にそれで幸せですか?
たしかに、働かなくても家は回るし、日々の買い物や食事には困らない。
時間もある。疲れたら昼寝もできる。
一見、自由で恵まれた暮らしに見えるかもしれません。
でも──
それなのに、なぜ心が晴れないんだろう?
そう思ったことはありませんか?
私の場合、「私だけが我慢している」「家族に尽くしてきたのに報われていない」という感情が、どこかにずっとくすぶっていました。
でもそれは、誰かが私を軽んじていたわけではなく、私自身が、自分を置き去りにしていたからだったんです。
本当は行きたい場所もあったし、やってみたかったこともあった。
でも、「家族がいるから」「迷惑かけたくないから」と自分にブレーキをかけ続けて、“何もしない”を選んできたのは、私自身でした。
そしてある日、ふと気づきました。
「このままでも生きていける、でも“私らしく”生きてはいない」って。
誰かのために自分を抑えることが“美徳”とされる時代もありました。
でも今は、自分を大切にすること、自分らしく生きることが何より尊い時代です。
それに年齢は関係ありません。
むしろ、子育てを終えた今こそが、
「自分自身の人生を見つめ直す」絶好のタイミングなのです。
「このままでも生きていける」──それは確かに安心かもしれない。
でも、その安心の中に、自分の喜びや未来への期待はありますか?
何かを変えたいと思っているあなたの心の声は、きっとずっと前からあなた自身に語りかけていたはずです。
「今のままでもいいけど、本当は違う道もあるんじゃない?」って。
その声に、今こそ静かに耳を傾けてみませんか。
子育て卒業後、私もずっと、“なんとなく過ごしていた”
何をしているわけでもない。
でも、なんとなく毎日が過ぎていく。
気づけば1週間、1か月、1年…
「何かをしたい」「変わりたい」と思いながらも、何も変わらないまま時間だけが流れていく。
実は、これが一番怖いことかもしれません。
私はずっと、そんな毎日を過ごしていました。
子育てが中心だった頃は、目の前のことに追われながらも“目的”がありました。
「今日は子供の送り迎え」「今週は予防接種」「来月は運動会」──
やるべきことがカレンダーを埋め、達成感と安心感をもたらしてくれていたのです。
でも、子供が自立し始めた途端、その“やるべきこと”が消えました。
ぽっかり空いた時間。
本来なら「自分のために使える時間」のはずなのに、
どう使っていいのか分からない。
スーパーに行き、夕食を作り、夫と少し会話して、洗濯物を畳んで寝る。
一見、穏やかな日常。
でも、心の奥ではずっと思っていました。
「これ、本当に私の人生なのかな?」って。
何も悪いことは起きていない。
誰も私を責めてこない。
でも、満たされていない。
その空虚感をごまかすように、「とりあえず今日はこれでいいや」と、自分をごまかしながら“なんとなく”を積み重ねてきたのです。
そして気づけば、年齢だけが進んでいる。
時間は平等に過ぎていくのに、「私は何もしてこなかった」と思うと、焦りと後悔が一気に押し寄せてきました。
でも、ここで大切なことに気づきました。
“なんとなく”は、自分の選択だったということ。
誰かにそうしろと言われたわけじゃない。
“動かないほうがラク”と思って、そうしていたのは自分だったんです。
だからこそ、今からでも変えられる。
“なんとなく”を“ちゃんと選ぶ”に変えるだけで、人生は少しずつ動き始める。
たとえば、
「今日はカフェに行こう」
「本を1冊読もう」
「資格について調べてみよう」
そんな小さな“自分の選択”を積み重ねることが、“自分の人生を取り戻す”一歩になるのです。
「なんとなく」の連続でここまできてしまった人ほど、次に選ぶ“ひとつの行動”が、自分の未来を変える力になります。
子育て卒業世代│年齢はただの数字。でもその重みを知るとき
「年齢なんて関係ないよ」
「何歳からでも挑戦できる」
そんな言葉を目にすることがあります。
たしかに、年齢に関係なく新しい一歩を踏み出す人もたくさんいます。
それは真実です。
でも──
実際に、自分が50代になったとき、どう感じたか。
私は、年齢という“数字”が、想像以上に重くのしかかってくることを知りました。
体力の衰え。
肌のハリ。
目の疲れ。
PCやスマホの文字が読みにくくなったり、朝の目覚めがつらくなったり。
周囲にいる若い人たちのテンポについていけないと感じたり、「今さら始めても意味あるのかな…」と自信をなくしたり。
「何歳からでも遅くない」と言いながら、心のどこかで「でも、もう若くはないし」と言い訳してしまう自分がいました。
社会の空気も、年齢に対してやさしくはありません。
求人情報を見ても、「40代まで」「未経験可(35歳以下)」などの文言が並ぶ。
まるで、自分はもう“戦力外”と言われているような気がして、その画面を閉じてしまったこともあります。
でも、ある日気づいたんです。
「年齢は数字。でも、それをどう受け取るかは“自分次第”だ」と。
50代だからできないこともある。
けれど、50代だからこそできることも、実はたくさんある。
たとえば、
- 人に対する気配り
- 感情のコントロール
- 困難への耐性
- 丁寧な仕事の進め方
- 人の気持ちをくみ取る力
どれも、長く生きてきたからこそ備わってきた“人生の財産”です。
若さでは手に入らない、深みと信頼感。
年齢は確かに数字だけれど、そこに積み重なった時間は確かな価値です。
私が再び働こうと思えたのも、「若くないからこそ、今やらなきゃ」と思ったからでした。
年齢をただの数字にするか、それとも、重みのある“人生の証”として受け取るか。
それを決めるのは、自分です。
自分の年齢にため息をつくのではなく、「ここまでよくやってきたね」と誇りを持てたとき、新しい一歩が踏み出せるのだと思います。
子育て卒業が “動ける自分”に出会うために、今できること
「動けない自分」を責める必要はありません。
長い時間を“家族のため”に使ってきたあなたが、“自分のために動くこと”に戸惑ってしまうのは、当然のことです。
でも、動かないままでいたら、この先もずっと「動けない理由」を並べて、自分をごまかし続けてしまう。
だからこそ、今、“動ける自分”に出会うための準備をしていきましょう。
それは決して大きなことではありません。
資格取得でも、再就職でも、副業でもなくていい。
たとえば─
- 少し早く起きて、自分のためにお茶を淹れる
- 気になっていた本を1冊、読んでみる
- 昔好きだった趣味を思い出して、やってみる
- ひとりで近所のカフェに入ってみる
- ノートに、これからやってみたいことを書いてみる
こうした“行動”のすべてが、あなたを「動ける自分」に引き戻してくれます。
私がそうでした。
最初はほんの小さな“プチ家出”。
泣きながらカフェに入り、ノートに気持ちを書くだけの時間。
それでも、「わたしはここにいていいんだ」と思える感覚が、私を少しずつ“動かす人間”へと変えてくれました。
そして気づけば、派遣の仕事に就き、自分で稼ぎ、自分の判断で休みをとり、人と関わり、“自分の意思で人生を動かしている”という手応えを感じられるようになったのです。
もちろん、うまくいかない日もあります。
勇気が出ない日も、誰かと比べて落ち込む日もある。
でも、そんなときに思い出してほしいのです。
「動けない」時間があったからこそ、 一歩踏み出すことに意味が生まれるのだということを。
今のあなたは、「動けない人」ではありません。
「まだ動いていないだけの人」です。
未来の自分が、
「よく動いたね」「変わってくれてありがとう」と
笑顔で振り返れるように、今日、小さな一歩を選んでみませんか?
それが“自立”という言葉の、もっとも静かで、もっとも強いスタートになるのです。
まとめ|子育て卒業世代「変わりたい」は、自分の中にもうある
このままでいいの?
変わりたい。でも動けない。
そんな思いを、あなたはどれくらい前から抱えているでしょうか。
生活に困っているわけじゃない。
今の暮らしに、表面的には不自由もない。
でも心のどこかで「このままじゃイヤだ」と感じているなら、その違和感は、あなたの中にある“もう一人の自分”からのサインです。
「動けない理由」があることも、「誰かのせいにしてしまいたくなる気持ち」も、ぜんぶ、私も経験してきました。
でも、変わりたいと願うその気持ちがあるなら、あなたはもう、“自立への第一歩”に立っています。
年齢はただの数字かもしれない。
けれど、その数字にはあなたが積み重ねてきた時間が詰まっています。
それは誇りであり、これからを選びなおすための“力”でもあるのです。
今日、ほんの少しでも「変わりたい」と思ったのなら、自分に許可を出してあげましょう。
カフェに行く。ノートを開く。本を読む。
その一歩が、あなたを「動ける自分」に近づけてくれるはずです。
そしてもし、まだ少しだけ不安なときは、このブログにまた来てください。
あなたの「これから」は、あなたの手で、いつでも書きかえられる。
それを信じられるようになるまで、私はここで、静かに、でも本気でエールを送り続けます。
「資格を取ってみたいかも」と思ったあなたへ
まだ何をしたいか分からなくても、「学ぶこと」から始める自立もあります。
次の記事では、資格を考え始めたときに、最初に見つめてほしい視点をお届けしています。
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