これまで「働く」という視点と、「学ぶ」という視点、両方の記事を書いてきました。
なぜなら、どちらも「自立」につながることだからです。
ですが、それらをやれば「自立できる」のか?と問われたら、私はNOと答えます。
「〇〇をやればいい」この思考自体が、すでに「依存」なのだということに、気づくことから始めなければなりません。
少し厳しい言い方になりますが、ここが理解できていなければ、いくら働いても、学んでも、「自立」には至らないと思います。
考え方が他責だからです。
今日は私が考える「自立」について、厳し目意見でお話しします。
自立とは│「一人で生きる=自立」ではない
「自立」という言葉を聞くと、「一人暮らしをしている人」や「誰にも頼らず生きている人」をイメージする方も多いかもしれません。
でも本来の自立とは、そういう“生活スタイル”のことではないのです。
自立とは、「自分の人生を、どれだけ主体的に生きているか」ということ。
誰にも頼らずに生きることではありませんし、孤独に暮らすことでもありません。
むしろ、誰かと支え合いながらでも、自分の意思で選択しているのなら、それは立派な自立です。
たとえば
「家族のために生きたい」と、自分で選択した専業主婦という生き方は、外で働いていなくても自分で選択しているので“自立した人生”といえます。
一方で、「夫に言われたから……」と、しぶしぶ働き始めた場合。
その行動には自分の選択がなく、主体性を持っていないので、自立しているとは言えません。
つまり、大人の自立とは、「自己責任感を持って、自分で選択し、自分の人生に主体性を持つこと」です。
誰かのせいにしたり、状況のせいにしたりせず、「私はどう生きたいのか?」と問い続ける姿勢が、自立につながるのだと思います。
自立出来ていない人は、人に依存して、自分のしあわせは“誰かが与えてくれるものと思ってしまう人が多いのも事実です。
その背景には、「自分には価値がない」「自分は何もできない」という、低い自己評価があるのではないでしょうか。
私たちは知らず知らずのうちに、「自分より、誰かの意見の方が正しい」と思い込んでしまっていることがあります。
自分の気持ちより、人の顔色や言葉を優先する。
そんなふうに“他人軸”で生きることが、いつの間にか当たり前になっている人も多いのではないでしょうか。
そんな風に生きているうちに、「私には何もできない」「私ひとりじゃ、生きていけない」と、自分を低く評価するようになってしまい、依存できる存在がいることが価値のあること と、間違えた考え方を持ってしまう場合もあるかもしれません。
たまに、“ひとりで暮らしている人”を「可哀想な人」「私はああはなりたくない」――と、批判する人がいますが、その思考こそが自立出来ていない証拠だなと私はおもいます。
自立とは│あなたの選択は、本当に“あなた自身”のものですか?
みんなに合わせておけば失敗しないだろう
そんなふうに、 “他人任せ”になっていませんか?
たしかに日本では「協調性」は美徳とされています。
でも、“協調する”ことと、“他人に合わせて生きる”ことは同じではありません。
本来、主体性を持って生きるというのは “自分勝手に振る舞うこと”ではありませんし、主体性=ワガママではありません。
主体性を持ちながら、協調性をも持つことは、十分可能です。
けれど、「責任を負いたくない」「人と違うことをしたら笑われる」と思うあまりに、“協調性”を口実に、自分で選択することを辞めてしまいがちになっています。
人任せにすれば、自分で考えなくていいし、もし失敗しても誰かのせいにできるって、一見、ラクに感じますよね。
そんな考えだから立派な大人になっても自立している人には見られませんし、自分がない人として、人から感心を持たれなくなり、粗末にされるのではないでしょうか。
失敗してもいいから自分の人生は自分で決める。
その覚悟を持つことができることが自立には何よりも大切です。
自立とは│自分を下の存在にしていませんか?
主体性を持てない背景には、自己評価が低く、自分の決断に自信がない人が多いと言われています。
人生は傷もつくし、失敗もします。そして、それを経験するからこそ、人は成長していけるのです。
それを恐れずに、自分の意見を持つことで、人は自分を評価してくれると思います。
逆に、“傷つかないように” “失敗しないように”と守りに入る人ほど、人に傷つけられたり、軽んじられたりする場面が増えていく傾向にありますが、その理由はとてもシンプルです。
自分自身が、他人を上に置いて他人>自分 という構図を作ってしまっているから、人は興味を示さなくなり、大切にしてくれなくなるのです。
かく言う私自身も、そうした思いを無意識に抱いていた一人でした。
夫>自分という関係を自分から築き、どこかに違和感を感じながら苦しいと思っていました。
自分自身が、自分を“下の存在”として見ているからこそ、相手が上から圧力をかけてくる。
この構図を、自らつくってしまっていたのです。
誰かの選択に従って生きるのではなく、自分で考え、自分で決め、自分の足で歩く。
そうした「自立した生き方」を選ぶことが、これからの人生を変える第一歩になると思い、その生き方に変えました。
50歳の時でした。
自立とは│「協調性」ではなく「主体性」が必要な時代へ
学生時代、「協調性を持って」と育てられ、集団行動を求められてきた私たち。
空気を読み、輪を乱さず、みんなと同じであることが“正解”とされてきました。
でも今、私たちはもう大人です。
協調性が必要な場面ももちろんあります。けれど、自分の人生を歩む上では、協調性だけでは不十分です。
「みんなと同じ」でいることは、時に「自分を持たないこと」になってしまうからです。
たとえ表面上、幸せそうに見せられても、自分の本音が置き去りになっているのなら、それは「人生の成功」とは言えません。
どんなに家や肩書があっても、心の奥が満たされていなければ、その人生は誰のものなのか、わからなくなってしまいます。
そもそも論、「人生の成功」なんて考え方は、もう捨てましょうよ・・と思います。
その「人生の成功」という視点を持ち続けていると、反面で「失敗をしてはいけない」と思い込んで自分が苦しくなるからです。
社会的に失敗しないようにと、周りの目ばかりを気にして人間観察を始める・・・。
これは決して幸せな人生ではありません。
周りと自分を比べて、どちらが上か下かを常に考えてしまう人生程、失敗な考え方はないのではないでしょうか。
他人の目なんてどうでもいんです。
それでも気になるのは、自分がなから。自立していないからです。
今日は非常に厳しい内容を書きましたが、何かのキッカケになってもらえたらいいなと思っています。
人生は何歳からでも変えられますから。